利休七則の中にある茶道の心(利休七則③)

Maikoya Kyoto tea ceremony 2

今回も引き続き利休七則の中にある茶道の心について話したいと思います。今回は以下の二つです。


4. 夏は涼しく冬暖かに


茶道では夏の涼、冬の暖を三つに分けて考えます。「茶室の涼(暖)」「露地の涼(暖)」「道具の取り合わせの涼(暖)」です。ここで夏の涼を表現するサンプルをお目にかけましょう。夏の朝茶事に招かれたつもりでご覧ください。まず案内は朝五時から六時。露地の緑、石畳には亭主の丹精でたっぷりと打ち水がされている。ひんやりした飛び石をつたい、つくばいの水も冷たい。まさに市中の山居で席に入る。床に「涼一味」の語句、詩でも和歌、俳句でもOK。土風炉に小ぶりの雲龍釜。香合は堆朱、堆黒、貝をあしらったもの、鎌倉彫の草花もOK。朝茶はなるべく火を避けて、初炭だけで、ここで炭が置かれる。炭斗は口か肩に透かしのあるもの、羽箒は淡紅鷺、白鷺、白閑鳥。どっぷりと水にひたした釜が置かれ、亭主がぬれ茶巾で釜肌をぬぐうのも風情を添える。初炭のあと懐石、そして菓子。菓子はよく冷やした葛製、松花堂好みの籠食籠(KAGO-JIKIROU)に青葉でも敷く。席中より中立ちして、庭の青葉の陰でいただくのも趣向。後座、ふたたび席に入る。床の掛け物は取りはらわれて花に。露をしとどにたたえた夏草。水を含んだ木地釣瓶(KIJI-TSURUBE)の水指、それともたっぷり湿りを含んだ南蛮か古備前種壺(KOBIZEN-TANETSUBO)に染付の蓋、広間なら大割り蓋か、あるいは露を吹く砂張平水指。茶杓の銘も夏向き。茶碗は志野、瀬戸、唐津の平茶碗。後炭は略して、濃茶からすぐ薄茶。八時か九時には終わる。朝茶の取り合わせは簡素に、一点に力を入れ、他はなるべく略して。茶室は夏は明る過ぎないよう、必ずしも小間でなくてもOK。座敷一面に郷代を敷くもGOOD。というかんじですが、茶事でなくても、茶人の消夏法は、灰つくりや茶碗の手造りなどいろいろあります。日本人の自然に対する考え方は、昔から、自然に対抗してそれをなんとか克服してゆこうというのではなく、むしろ自然の中に身を投じて自然と人間が融和し、その中で生きてゆく、というものです。日本人の持つ美意識も、このような自然観のうえに立つものです。「冬暖かに」も同じように、もてなしの心を端的に表現しています。



5.刻限は早めに


ある時、宗旦(利休の孫)は四天王の一人藤村庸軒(YOUKEN)を朝茶に招いたことがありました。庸軒は約束の時間より早過ぎると思いましたが、まだ夜も明けきらないうちに宗旦の家へと伺います。すると宗旦は小座敷に独りすわって平家琵琶を弾いていました。声をかけると宗旦が顔を出し、小座敷へと招き入れてくれました。そして、「今朝はかごできましたか、または歩いてきましたか」ときいてきました、庸軒は「歩いてまいりました」と答えました。すると宗旦は、「それならばまず薄茶を一服差し上げましょう」といって茶を点ててくれました。そして庸軒がお茶を飲んでいる間に、行燈(ANDON)を引き寄せて炭を直しながら、「おいでまでの間に二度ほど炭を直しました」といわれるのを聞いて、庸軒はたいへ感動したそうです。庸軒がそれほどまでに感動したのはいったい何に対してでありましょうか。それは、客を迎える何時間も前にすでに準備をととのえ、独り琵琶を弾きながら待っている宗旦の余裕に対してでした。茶会に招かれた客も、招いた亭主もともに心にゆとりをもって、最高の気持ちで向かいあうことができたとき、はじめて一座建立ICHIZAKONRYUの茶が成立するのです。利休はそのことを表現して「刻限は早めに」といっています。それは心に余裕を持つことという意にほかなりません。ゆとりとは、時間を尊重することです。自分の時間を大切にし、余裕を持って事にあたること、これは同時に相手の時間を大切にすることに通じるのです。


※ 宗旦四天王とは宗旦の有力な弟子たち、山田宗偏、杉木普斎、藤村庸軒と、久須美疎安、または三宅亡羊や松尾宗二という説も