Japanese
茶道の設えと陰陽五行(陰陽五行2)
Kyoto Kimono Tea Ceremony” width=”750″ height=”499″ srcset=”https://i2.wp.com/mai-ko.com/wp-content/uploads/2020/05/Maikoya.jpeg?w=1024&ssl=1 1024w, https://i2.wp.com/mai-ko.com/wp-content/uploads/2020/05/Maikoya.jpeg?resize=300%2C200&ssl=1 300w, https://i2.wp.com/mai-ko.com/wp-content/uploads/2020/05/Maikoya.jpeg?resize=768%2C511&ssl=1 768w, https://i2.wp.com/mai-ko.com/wp-content/uploads/2020/05/Maikoya.jpeg?resize=600%2C400&ssl=1 600w, https://i2.wp.com/mai-ko.com/wp-content/uploads/2020/05/Maikoya.jpeg?resize=226%2C150&ssl=1 226w, https://i2.wp.com/mai-ko.com/wp-content/uploads/2020/05/Maikoya.jpeg?resize=180%2C120&ssl=1 180w” sizes=”(max-width: 750px) […]
茶会の中での陰陽五行(陰陽五行③)
茶道での稽古の目的は様々ですか、その一つに“茶事をひとりで行えるようになる”というものがあります。広く世間に知られている茶会は茶事の一部分を切り取ったようなもので、日々の点前の稽古も茶事の一部分を切り取り稽古をしていることになります。正式な茶事は初入り(初座)、中立ち(休憩)、後入り(後座)の3つに分かれています。これにおいて ‛初入りは陰の席’ ‛後入りは陽の席’ とよく言われますが、茶事の構成も陰陽五行の考え方に深く基づいてなされています。陰と陽はれぞれその中でも相対分割を繰り返す・・・という考え方から、 先ず初入りでは大きく見ると炭手前と食事(懐石)に分ける事が出来ます。炭手前は火を盛んにする為の所作で‛陽’と見ます。懐石は現れている物を体の中に取入込む所作で‛陰’となります。実際は炭手前自体や懐石自体のそれぞれの中でも陰陽に分ける事が出来ます。 次に後入りですが、こちらは大きく分けて、濃茶と薄茶に分かれます。濃茶、薄茶の二つに分けた場合は、濃茶=陰、薄茶=陽 という分け方になります。重いものが陰で軽いものが陽。隠れているものが陰、表われているものが陽…etc 見ていくと様々な相対性を見つけることが出来ます。濃茶や薄茶の喫茶の部分は菓子を頂く場面から始まります。陰である濃茶の為の菓子は陰の席(初座)で、陽の薄茶の菓子は陽の席(後座)で頂きますし、更に 濃茶=陰 の為の菓子は生菓子(湿=陰)で、薄茶=陽 の為の菓子は干菓子(乾=陽)であるという事も、陰陽の表れの一つです。
陰陽五行説について(陰陽五行④)
前回までのblogで茶道と陰陽五行についての深い関係性について話してきましたが、今回はそもそも陰陽五行とは何ぞやということで話していきたいと思います。 現在は陰陽五行説として一つに考えられることが多くありますが、元々はそれぞれ陰陽説、五行説という中国の戦国時代においてとても流行した中国古代哲学から成り、後の漢の時代に陰陽五行説として同化して行ったと言われています。 生命の根源であり、宇宙の活力になるものを‛気’といいます。‛気’は陰と陽からなり、この世の全ては陰陽の二気によって成り立ち、世のなかのすべての物事は個々で独立しているのではなく、陰と陽という対立した形で世界ができあがっており、自然界の秩序も保たれているという考え方が陰陽説です。すべて陰陽対立の矛盾性があり、そうした矛盾の中で発展し変化すると考えられています。陰陽説では人間界も陰陽二気の変化に順応して、政治、道徳、日常生活の秩序が保たれていると言われています。そして、人間生活にとっては五行という木火土金水(もくかどごんすい)の五元素が最も重要であり、宇宙のあらゆる事象は五行の五元素の働きによる、、、という考え方が五行説です。中国では各王朝の変遷を五行の推移に見立てて、それまでの陰陽の二気も木火土金水の五行も相互に対立し排斥し合うとする二元論、五元論というだけではなく、相生(そうしょう)と相剋(そうこく)の考え方も説かれるようになりました。相生とは、例えば、木は火を生じ(木が燃えて火となり、木と木が擦り合わされて火となって燃えさかるという関係 )、火は土を生じ(火が燃えたあとには必ず灰が残るという関係)、土は金を生じ(土が集まって山となり、山から鉱物(金属)が産出するという関係)、金は水を生じ(鉱物(金属)は腐蝕して水に帰り、また溶融すれば液体(水)になるという関係)、水は木を生じる(水を養分としといて木が生育するという関係)ということで、相剋とは、例えば、水は火に勝ち(水は火を消す)、火は金に勝ち(火は金を溶かす)、金は木に勝ち(金属は木を切る)、木は土に勝ち(木は土から養分を得る)、土は水に勝つ (土は水の流れをせき止める)という考え方です。 日本の茶の歴史は、最澄が茶の種子を中国より持ち帰った805年に始まります。飛鳥、天平、平安時代の日本の人々のあこがれは中国であり、その都造りも陰陽五行説に基づいた中国のそれを見習ったものでした。その後現在の茶道の姿が確立されるまで、長い年月を経ているわけですが、中国で人々の生活に根強く息づいていた陰陽五行説もその後の茶道の発展に深く影響していったと言われます。
茶事でのルール(茶事③)
【招待する側:亭主】 茶事を行うには、まず、誰を招くかを亭主が決めるのですが、正客(一番メインの客)を決めたら、その人に合わせて、その茶事のひと時を一緒に楽しく過ごすことの出来そうな人々を考えます。 そして1週間くらい前に、それぞれに招待状を出します。招待状内では必ず招待している方々の名前、日時、場所を記しておきます。また、場合によっては、正客だけを亭主側で決め、‛〇名様ご一緒においでください’と、お任せすることもあります。招待状は、正式には筆で書き、封書で出すのですが、現在では略してペン書きのハガキ、電話など様々なスタイルで行われています。茶事に招く人数は少ないほど良いとされており、3~5人を理想としますが、7、8人ぐらいまでは可能火と思います。人数が増えると亭主一人で十分なおもてなしを維持することが難しく、懐石やその他のことにも時間がかかって、全体的に間延びしたものになりやすいです。 【招待される側:客】 招かれた人は、正式には、茶事の前日か前々日に亭主の家に行って、招待のお礼を述べ、必ずお伺いいたしますと感謝を伝えます。これを茶道では“前礼ZENREI”といいますが、現在はわざわざ出向くことはせず、手紙や電話で返事をする人が多いようです。“前礼”で伺った際は、客は家に上がったりはせず、玄関先でお礼を済ませるようにするのがマナーです。 当日の好ましい服装として、着物の場合、男性は十徳JUTTOKU、半徳HANTOKU等の一般的な茶道スタイルをするか、紋付羽織はかまMONTSUKI-HAORI-HAKAMAの正装にします。この時、羽織は室内では脱ぎます。洋服でも構いませんが、あまり派手ではないものを選び、かといってジーンズなどのカジュアルすぎるものは避けます。女性は紋付か無地のものを選びます。茶道は“わびWABI”をもととしているのですから、服装はあまり派手でない方が良く、指輪、ネックレス、金の帯どめ等のアクセサリー、香水などは身に着けない方が良いです。宝石や金属類は茶碗などの道具をきずつけるおそれもある為、必ず外しておきます。また、香水などをつけると、茶室に焚いた香の心遣いが台無しになってしまいます。 茶事に伺う際の持ち物としては、替え足袋(替え靴下)・・・外を歩いた足袋で茶席に入るのは失礼に当たる為清潔なものに履き替えます。扇子、懐紙1帖・・・懐紙とは懐に入れて携帯するための小ぶりで二つ折りの和紙のことで、始まりは平安貴族といわれており、メモ用紙、ハンカチ、テッシュ、便箋などの様々な用途で使われています。男性用と女性用ではサイズが異なり、男性用は一回り大きく、和菓子などの下に敷いてあるなど普段よく見るものは女性用のサイズになります。30枚で1帖JOUとなっており、通常はこの単位で持ち歩きます。帛紗FUKUSA・・・通常はお点前の際に使いますが、出された道具を拝見する際などにも使用する為、茶道の際は必ず持参します。古帛紗KOBUKUSA・・・濃茶を頂く際、道具を拝見する際等に使用します。茶巾CHAKIN・本来は麻で出来た布で、濃茶を頂いた後、茶碗を拭く際に使用します。現在は紙で出来た物もあります。いずれも事前に湿らせて持参します。袖落としSODEOTOSHI・・・懐石を頂いた際に出た残り物等のゴミを持ち帰るための袋のことです。
茶室の中の花“茶花”(茶室の中の設え①)
茶室に活ける花のことを“茶花CHABANA”といいます。茶花は、生け花やフラワーアレンジメントと違い、自然な姿を大切にします。茶道では四季おりおりの自然の美しさを茶会の中に散りばめて楽しむのですが、その中でも花は、よく季節を現わすもので、亭主がいちばん心をつくして整えるものです。茶花は、利休が“花は野にあるように”といわれたように、花の持つ自然の姿でいけるのがよく、形を変えたり、作ったりする必要はありません。花と器が一つにまとまって、茶室に季節感を現わし、美しさを感じさせるものであり、茶花それ一つが、いけ花のように、とびぬけて目だった装飾的なあり方では、いけないのです。“花は野にあるように”というのは、自然の環境の中に咲いた花、という意味で、野原に自然に咲いている花のように、素直にいけるということです。花の持つ、自然の姿を尊んでいけるのがよく、枝を曲げたり、一定の形をととのえる必要はありません。また、あまり奇抜な花や季節はずれの花をいけることはしません。 ‛南坊録’という本の中に、茶花について、“小間(四畳半以下の茶室)には一いろの花を一枝か二枝軽くいけたものがよく、広間には花によっては二いろ使ってもよい”また、“水あげのむずかしい花や、かおりのはげしい花、形のとりにくい花などはさけるように”と、色々な花の名前があげてあります。
“茶花”のいけ方(茶室の中の設②)
“茶花”のいけ方(茶室の中の設②) 前回は茶花とはなんぞやということで話しました。今回はそのいけ方について話したいと思います。茶花のいけ方には、いけ花のように、きまった形があるわけではありません。しかし、いくら自然の姿がよいといっても、鏡花(客の真正面を向いた花)や、客のほうにばかり 葉が向いているのなどはあまりよくありません。たとえそれが咲いたままの姿であっても、もともそんな咲き方は自然ではないからです。いけ方は、いわゆる投入れ/NAGEIREを主として、花や枝をためたり(枝を曲げること)、向きを変えたりすることはさけて、花の持つ自然の姿の美しさを、心をこめて花入にいけます。いけ花のように、根もとを必ずしもそろえる必要もありません。場合によっては、花や枝が留めにくいこともありますが、そのときは根もとに切り目をつけて、小さなようじなどをはさみ、これで花入に留めます。剣山/KENZANは茶花では用いません。剣山を使用すると、花の形が固定された姿となりやすく、作ったおもしろさを求めやすいからです。 茶の湯では、“真行草”ということを重要視します。点前にも、道具にもいわれますが、茶花にもいわれることです。しかし、この格づけは、亭主の心、茶室、道具などの総合的なとり合わせによってできた一応のきまりなので、そのきまりを原則として知り、その上で臨機応変にいけることが大切です。花器に真行草があるように、花のいけ方にも、やはり真行草の形があります。直線的にまっすぐにいけるのは真、横に流れた姿でいけるのを行、投入れのような姿、つる類や懸崖/KENGAIふうにさがった姿を草の花といいます。しかしながら、曲がった枝を、むりにまっすぐにして真にいけることはタブーとされており、必ず花や枝の性質を考えていけます。花のいけ方と花器の間には、真の行とか行の草とか、いろいろ組み合わせができますが、そのこころは、全体の調和と花の自然な姿をいかすことにあります。
掛物と花と花入の調和(茶室の中の設え③)
茶花は、ひとつの茶事や茶会内で使用されるいろいろな道具との調和を非常にたいせつにします。茶事や茶会で使用する道具を選ぶことを道具の取り合わせといいます。道具のとり合わせをする場合には、まず、その茶室の大きさが広間であるか小間であるかを考えます。そして、その開催の目的にしたがって、季節などを考え、床の掛物を第一にきめます。この場合、床の大きさがポイントになります。掛物がきまったら、次は、それに合う季節の花を考えます。自分で育てた花とか、野山からさがしてくるとか、心をこめて花を求めることが、茶花をいけるうえで、一番たいせつといっても過言ではありません。そして、さらに花に合う花入を考え、また掛物と花入との関連も考えなければなりません。このように、花によって花入がきまることが多いのですが、逆に、花入によって花が選ばれる場合もあります。 古くから名高い掛物など(中国の高僧の墨跡など)を使うときには、掛物の持つ位から当然花入も格の高いものが必要で、この場合には花入の格が高いために、花入に合わせて花をきめるという逆の順序になります。たとえば、中国の青磁の花入は、昔からたいへん貴重なものとなっていますが、このような花入には、花も高貴な風趣を持つぼたんや山しゃくやく、しゃら、また、つばきでも加茂本阿弥KAMOHONAMI、あけぼの、太郎庵椿TAROAN-TUBAKIなどの格調の高いものが、ふさわしいといわれています。以上のように、茶花は花だけが独立してその存在を主張するものではありません。茶室の中にある他の道具類との調和美の中の一部分として存在します。
茶道を行う為の場所“茶席 (CHASEKI, tea room) (茶席①)
茶道を行なうためにできた建物を、一般に茶席とよんでいます。茶室といってもよいのですが、本来は、おもやから離れて建てられたものを茶席とよび、おもやの中に作られたものを茶室とよぶように、使い分けられています。現在では曖昧になってきていますが専門的にはこの様な区別があります。茶席は、初めからお茶をするためだけに作られた建物で、本来は“茶席”というものには、茶室のほかに水屋も腰掛待合も蹲踞/TUKUBAIも、そして露地という庭も付属していなければなりません。 書院台子式の茶が生まれた室町時代には、まだ、現在茶席とよばれているような、ほんとうの独立した様式のものはなく、多くは、座敷と客間の意味を含めてよばれていたようです。銀閣寺にある東求堂/TOGUDOは、そのうちでも最も完成されたものといえますが、戦国時代から桃山時代に移る間に、「茶座敷/CHAZASIKI」といわれたり、「かこい/KAKOI」といわれる茶室ができてきます。こうして、お茶をたてる場所は、しだいに他の建築物とは別な、違った様式を持つようになり、「すきや」というようなよび方が生まれてきます。利休の先生であった紹鷗/JOOHのころから、いわゆる書院建築といわれる、格式のある、室町時代から引きついだ建築様式のままでは「わび」を主とするお茶にはふさわしくない、という考えが生まれてきたようで、紹鷗や利休は、書院式の建物の構成から茶室を離していこうとします。平凡で自然で簡素な構成を望んだのです。そして、当時の町なかの家や農家にありがちな、草ぶきやこけらぶきの、柱には丸太を使い、壁は土壁でできた、ありふれた建物の中に、茶席の原形を見いだしました。こうして、草庵様式の茶席が生まれるのですが、これはその当時の一般的な茶席の建築様式から見ると、大きなチャレンジであったと思われます。信長や秀吉によって、金銀まばゆい城や豪華な意匠と装飾を持った書院造りの御殿が盛んに作られていた時代に、いなか家そのままに見える建物を作り、しかも当時の権力者たちをそこに招き、主客が同座して一碗のお茶を相伴したということから、茶道に対する思いの深さを感じることが出来ます。
茶道を行う為の場所“茶席 (CHASEKI: tea room) (茶席②)
前回は紹鴎や利休の頃から、茶席の建築様式が立派な書院造からシンプルな草庵様式へと変化していった話をしました。なぜそのような変化が必要だったのでしょうか。まず考えられることは、当時の社会に存在していた、人と人との間の身分の違いに対するきびしい序列や、格式というものへの抵抗があります。利休の心にある茶道では、身分などは最もよけいなもので、これを排除することが、どうしても必要であったということです。位の高い人たちは上段の間にすわり、下の人たちは下段や別室にすわるという書院式のへやでは、主客が一つになってお茶をいただくという心の結びつきは生まれません。思いきってへやを狭くして、どんな身分の高い人よりもさらに位の高い場所として、床の間をへやの上座に作り、そこに名高い禅僧の書をかけ、お茶を飲む人々は、上座下座の区別はあっても、同じ平面の上にすわることができるように工夫されました。さらに茶席は、お茶をたてていただくことのみに目的を限り、水屋(茶道用のキッチン)は陰に作り、他のすべての設備を、露地という庭の中に押し出しました。つまり、茶席という一つの独立した様式が生まれたのは、お茶をする人たちの心を日常のわずらわしさから完全に切り離す目的によったものだといえます。だからこそ茶席は、おもやから独立したものとなることが必要でした。そしてまた、いっさいのむだな飾りをすてて、できるだけシンプルに作ることによって、茶の心“和敬清寂”に自然に入っていけるようにしたのです。この利休が完成させた草庵様式の茶席は、現在までの茶室の主流となり広く世間にひろまりました。そして、多くの名高い茶人たちが創意工夫をし茶室を作り、日本中に名席といわれる茶室を残しています。