今回は茶道でよく聞かれる言葉、利休七則について話したいと思います。「茶は服のよきように点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように、さて夏は涼しく冬暖かに、刻限は早めに、降らずとも傘の用意、相客に心せよ」この言葉は、もともと利休がある弟子から茶の湯の真の姿とはどのようなものであるかを尋ねられたときの答えでした。

そのとき弟子は「それくらいのことなら、私もよく存じていますが…」といい、利休はそれに対して「もしそれが十分にできたなら、私はあなたのお弟子になりますよ」といったとのこと。この話をきいた大徳寺の笑嶺(しょうれい)和尚が「利休さんの答えは至極もっとも。鳥窠(ちょうか)禅師が、諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)と示されたように、すべての悪は行わず、すべての善は行うべし、というようなことは、幼い子どもでも知っているが、いざ実行するとなると八十歳の老人でもなかなかむずかしい」と評された話が、“南方録”にみられます。利休七則のそれぞれには茶道の神髄が表れていますので、一つずつ詳しく見ていきましょう。

1.茶は服のよきように点て

「お茶というものは、飲んでおいしいように点てましょう」という単純明快な言葉ですが、客においしく飲んでもらうための気配りとして、“服のよきよう”という表現がなされています。服加減のよいお茶を点てるための具体的なことといえば、抹茶の分量と湯加減にあるといえます。一碗の薄茶が、おなか一杯になるほどの量であってはおいしくない、三口半で飲めるくらいの分量が、ちょうど飲みやすい。‛お茶は三口半で飲まなければいけない’ということではなく、三口半くらいが、ちょうどよいということなのです。半というのは、残りのことをいうのであって、三口で飲んだあとの残りを、すうっと吸いきる。お茶をいただいたあと茶碗を拝見するときに残ったお茶が畳にこばれないよう、すうっと吸いきってしまう心づかいであり、その吸いきる音が「おいしくいただきました」という、客と亭主の心の通い合いにもなるのです。また、お茶でいう「服のよき」というのは、単においしいとかいうような味覚に訴えるものだけをさしているのではありません。味覚を満足させることはもちろんですが、心に響く感動させるもの、つまり、一碗の茶に亭主のこころを味わい、亭主も、それをうける客の喜びを感じる、そういう主客の気持がぴったりと合致したときに、真の意味の服のよき茶といえるのです。(次回に続く~)

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